PIMCOの視点

財政の等式と世界のインフレ見通し

現在の高インフレの主因は債務による財政政策ですが、パンデミック期に実施された施策が失効するにつれて、中央銀行は物価水準の管理という本来の重要な役割に戻っていくでしょう。

とんどの先進国とエマージング諸国で頑固な高インフレが顕在化していますが、その主因は何なのでしょうか。

正確な答えは、住んでいる場所によって違うでしょう。ウクライナ戦争は、欧州のエネルギー価格の高騰に拍車をかけました。日本や北欧諸国の財のインフレ率の上昇には、通貨安が寄与しています。また農産品価格の高騰で、多くの地域、特にエマージング諸国で食料品価格が上昇しています。

財政政策と政府債務:主要なインフレ圧力

インフレの原因は様々ですが、多くの地域で主因となっているのが債務による財政政策です。政策の多くは、新型コロナのパンデミックの最中に家計と企業を直接支援するため、2020年に議論され即座に実施されたものです。こうした財政政策に伴う資金が経済に流入するにつれて、2020年以降、財とサービスの需要が大幅に増加し、多くの場合、供給制約の中で物価水準が上昇しました。

先進国においては、パンデミックが始まって以来、コア・インフレ率とソブリン債の増加率の間に、顕著な正の相関性が見られます。(図表1を参照)。これらの国の間でインフレ軌道が大きくばらついているのは、異なる財政アプローチに起因すると考えられます(政策を実施してからその影響がインフレ指標で確認されるまでには、通常、時間がかかる点にも留意が必要です)。ニュージーランド、英国、米国では、コア・インフレ率が二桁に達し、政府債務も高い伸びを示しました。他方、日本やスイスでは、政府債務、コア・インフレ率ともはるかに小幅な伸びにとどまっています。ユーロ圏は、その中間に位置しています。

図表1は、パンデミック後の先進国における、コア・インフレ率と政府債務の増加率の関係をプロットした散布図です。前項で述べたように、多くの国では、政府債務の増加とインフレ率の上昇には明確な相関関係が見られます。たとえば米国では、2019年12月から2022年12月までの累積コアCPI(消費者物価指数)インフレ率が13%を超え、累積債務は2019年から2021年の間に25%以上増加しています。これに対し日本では、同期間のコアCPIインフレ率が2%未満、債務の伸びは約5%にとどまっています。2022年12月までの消費者物価指数はヘイバー・アナリティクスが提供する各国統計局のデータ。2021年12月までの政府債務はOECDおよびユーロスタットのデータ。

歴史的な観点

ある意味、この10年の財政拡張とその結果としての物価水準の上昇は、二つの世界大戦中および戦後の状況、さらには1918年のインフルエンザのパンデミック期に似ていると言えます。特に戦時の巨額の財政支出は、多くの国で政府債務の水準を劇的に押し上げました。例えば米議会予算局(CBO)によると、米国の政府債務の対GDP比は1946年に106%に達しています。こうした債務水準は、戦後数十年にわたる景気拡大の中で最終的に低下することになりますが、その間にはインフレが高進した時期がありました。

2008年には、世界金融危機をきっかけに、低迷する景気にテコ入れし金融システムを強化するために財政出動が行われました。ただ、この時の財政資金の多くは企業向けであり、PIMCOでは全体の財政軌道を改善するために、将来の増税ないしは歳出削減を予想していました。

現在、世界経済は異例の財政出動による介入の時期を徐々に脱しつつありますが、パンデミック関連の財政赤字は世界金融危機時の財政赤字よりも大きく、しかも企業だけでなく家計を対象にしています。また、多くの国では、現在の政治情勢から、増税ないし歳出削減によって政府のバランスシート拡大に歯止めをかける意欲は以前ほどみられず、債務水準が今後も上昇し続ける可能性が示唆されています。そうなれば、将来危機が起きた際に、財政出動の余地が限られる可能性があります。例えば米国では、債務の対GDP比が第二次世界大戦時の最高値に近づいており、今後数十年にわたって上昇し続けるだろうとCBOは見ています。(詳細については、PIMCOの最新の長期経済展望「アフターショック経済」をご覧ください。)

政策、債務、インフレ:変わりつつある等式

各国・地域の中央銀行は、パンデミックによる経済・市場危機に迅速に対応し、金利を引き下げるとともに、新たなベースマネーで有利子の国債を買い入れる量的緩和(QE)プログラムを開始しました。こうした金融政策行動は財政拡大を補完するものでしたが、振り返ってみると、(世界的な緊急事態に直面した政策立案者によって発動された)きわめて緩和的な財政および金融の刺激策は、パンデミック後の財・サービスの総供給量に対する不均衡につながった可能性が高いと言えます。

ただし中央銀行の政策、特に量的緩和策(QE)は、各国の物価水準の大幅な上昇を引き起こした主因ではなく、補助的な要因にとどまるとPIMCOではみています。先進国全体を見ると、パンデミックが始まって以来、コア・インフレ率とマネタリーベースの伸び率との相関性は、図表1で示した政府債務の増加率との相関性より、はるかに弱いものになっています。(図表2を参照)。

図表2は、図表1と同じ国を対象に、同じコアCPIインフレ率を、(中央銀行の活動が牽引する)マネタリーベースの伸び率と対比させた散布図です。前項で述べたとおり、全体的な傾向は、金融政策の拡大とコア・インフレ率には限定的な相関性しかないことを示しています。たとえば米国では、2019年12月から2022年12年までの累積コアCPIインフレ率が13%を超え、累積マネタリーベースは2019年から2021年の間に約80%拡大しました。これに対してオーストラリアでは、同じ期間にインフレ率が12%を超える一方、マネタリーベースは約340%拡大しています。2022年12月までの消費者物価指数および2021年12月までのマネタリーベースの伸び率に関するデータの出所は、ヘイバー・アナリティクスが提供する各国統計局のデータ。

このようにマネタリーベースの拡大がさほどインフレに寄与していないのは、なぜなのでしょうか。

大局的には、財政政策が政府債務の量を決定するの対し、金融政策はその構成を変化させるに過ぎないからだと言えるでしょう。量的緩和策(QE)は、政府の赤字と異なり、新たな純資産を民間にもたらすわけではなく、ある種の資産を別の資産に交換するものです。具体的には、固定金利の国債を中央銀行の準備預金に置き換えますが、準備預金には、米財務省短期証券(TB)など短期のソブリン資産のリターンに非常に近い変動金利が支払われます。

こうした(政府・財務省と中央銀行を合わせた)政府のバランスシートの構成の変化は、非常に重要です。中央銀行は現在、準備の残高に金利を支払っています。これは、関連する「財政の等式」を根本的に変化させます。QEは債務を消滅させるものはなく、債務のクーポンをゼロにするわけでもありません。政府・財務省は、中央銀行の利益に対する請求を通じて、新設の変動金利での準備預金への利払いで引き続き難しい立場に置かれています。QEは満期の長い固定金利の債券を、翌日物・変動金利の準備預金への付利に置き換えることにより、政府債務全体の満期プロファイルを短縮しています。そして、過去1年あまりにわたりインフレを抑制するため中央銀行が金利を劇的に引き上げたことで、準備預金にかかる中央銀行の利益は急速に目減りし、政府の純コストは増加しています。具体的には、中央銀行が財務省に納付する利益が時間の経過とともに減少するか、(イングランド銀行やスウェーデンのリクスバンクのように)、中央銀行が流通市場で債券を積極的に売却することで、正味現在価値の損失の一部を確定し、事実上、準備預金を取り崩すことになります。

要約すると、政府が事実上、準備預金に対する利子を負担し、(世界金融危機後の最近の10数年に比べて利子が高くなった)現在の体制では、財政当局は最早、中央銀行が提供する一見「フリーランチ(タダ飯)」を享受することはできません。つまり、中央銀行が金利のつかないお札を刷って、国債購入にあてることをあてにできないのです。

意味合いと見通し

では、今後はどうなるのでしょうか。この10年間に実施された財政拡大は、物価水準の恒久的な押し上げにつながる可能性が高いとみられます。しかしながら、これはインフレ率が恒久的に上昇することと同じではありません。PIMCOの基本シナリオでは、一時的なパンデミック関連の赤字が徐々に正常化するにつれて、インフレ率は低下していくとみています。そして、現在の制限的な金融政策はこのプロセスの加速を目指しているとみられます。また、1970年代とは異なり、金融政策への信認は損なわれているようには見えず、中期的なインフレ期待は依然として中央銀行の目標近辺で固定されています。

PIMCOでは、向こう5年の基本シナリオにリスクをもたらす可能性のある政策、地政学、労働市場などの様々な潜在的インフレ圧力にも留意しています。根強い高インフレは、インフレ期待の上昇につながる可能性があり、中央銀行は断固たる金融政策によってそうしたリスクの緩和を模索しています。

パンデミック関連の財政赤字は一時的でも、その効果が経済活動とインフレ率に完全に表れるまでには時間がかかります。物価と賃金には粘着性があり、企業の価格調整は総じて遅れます。財政赤字は、民間部門に巨額の貯蓄余剰をもたらしましたが、家計は一般に、余剰貯蓄をただちに使い切るのではなく、時間をかけて消費を平準化します。そのため、当初の財政ショックは一時的でも、財政ショックを相殺する水準まで物価が恒久的に押し上げられるまでには時間がかかるとみられます。

財政ショックによる物価水準の調整が吸収された暁には、(つまり、企業、政策立案者、消費者が、こうした恒久的な物価上昇を概ね受け入れ、それに対する計画を立てるようになれば)、中央銀行は将来のインフレ経路を誘導するという伝統的な役割に戻る可能性が高いでしょう。PIMCOでは、中央銀行がQEプログラムの段階的縮小を続けると予想しています。また、おそらく蔓延する「QE疲れ」が、次の危機に際して中央銀行が異例の政策を取れるかどうか、その能力と意欲に疑問を投げかけることになるだろうとみています。

QE以外については、インフレ期待をみずからのインフレ目標水準で固定するために、中央銀行はあらゆる手を打つだろうとの見方を継続しています。ただ、2%を目標とする中央銀行は、「オポチュニスティック・ディスインフレ(日和見主義的なインフレ抑制)」戦略の一環として、「2%強」程度のインフレは容認する意思があるだろうとPIMCOではみています。この戦略では、将来の景気後退時に総需要が不足し、インフレ率は目標を上回る水準から目標水準に戻ると予想されています。

パンデミックは、物価の安定には慎重な金融政策だけでなく、適切な財政支援も必要であることを想起させる重要な教訓となりました。金利の上昇で財政軌道は悪化しています。長期的には、財政力学主導でインフレを惹起する状況を回避するために、政府は将来の税制や歳出計画の見直しを迫られる可能性があります。

著者

Peder Beck-Friis

ポートフォリオ・マネージャー、グローバルマクロ

Richard Clarida

グローバル経済アドバイザー

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