資家の間では、日銀の次の政策変更について意見が大きく分かれています。これは劇的な変化といえるのではないでしょうか。今年初めには、日銀が追加緩和を実施するとの見方がコンセンサスになっており、「もし」ではなく「いつ」が問題でした。ところが半年経った今、日本の消費者物価指数(CPI)が再び前年同月比で0%近くに低下したにもかかわらず、追加緩和はないとの見方がコンセンサスになったようです。さらに一歩踏み込んで、量的・質的緩和策(QQE)の「テーパリング(段階的な縮小)」が次の一手になるとする見方まで出てきています。これをどうみるべきでしょうか。以下に、考え方の枠組みを示します。

日銀の2%のインフレ目標からの乖離
中央銀行の政策を予想するにはまず、政策目標と現状の「乖離」をみることから始まります。インフレ目標を明示的に掲げることの是非を巡って数年にわたり議論を重ねた末、日銀はついに2013年1月から2%のインフレ率を目標とする新たなレジームに突入しました。その2カ月後には、黒田東彦・新総裁の指揮のもと、概ね2年以内の目標達成を目指し、大規模な量的・質的緩和策に乗り出しました。これを受け、変動の激しい生鮮食品を除いたコアCPIでみたインフレ率は2014年5月には前年同月比で3.4%に上昇しましたが、1年後には0.1%に低下しました。この間、2014年10月に、予想外の追加緩和が行なわれたにもかかわらず、です。コアCPIが大きく振れたのは、原油価格の変動と2014年4月の消費税率の3%引き上げでほとんど説明できますが、物価の基調自体は相変わらず弱いままです。

足元のインフレ率が目標の2%から大きく乖離している現状を踏まえれば、日銀は追加緩和をすべきだとシンプルに結論することもできます。インフレ率の市場予想も低く、一段の緩和を示唆しています。1年後のコアCPIのコンセンサス予想は1%前後で、妥当な数字だといえますが、これは目標を大きく下回っています。しかしながら投資家は、黒田総裁率いる日銀の政策を動かしているとみられる他の要因を考慮すべきです。

日銀を動かすその他の要因とは
日銀の政策を予想するにあたって、投資家は以下に挙げる複数の要因を考慮すべきです。すなわち黒田総裁の哲学と思考(と私たちが考えるもの)、長期的な背景、政策目標、政策を遂行するうえでの課題です。

法的思考 黒田総裁の金融政策を理解するには、総裁の学識経験が法学から始まっているという事実を考慮する必要があります。2005年に出版された著書「財政金融政策の成功と失敗」のなかで、「期待可能性」という刑法の概念に言及しており、法的思考が総裁としての金融政策を形成したことがうかがえます。

「……日本のデフレは内外のさまざまな要因が影響して起こったことだと考えられ、金融政策もそれらの1つだっただろうし、ある局面では主要な要因だったかもしれないが、一貫してデフレの最大原因だったということはむずかしい。(中略)ただし、このことはデフレの責任が金融政策にないということを意味しているわけではない。否むしろ、デフレの責任は基本的に金融政策にあるといってよい。その理由は、中央銀行にはデフレやインフレを防ぎ、物価を安定させる義務があるからである。

すなわち、日銀は日銀法により物価安定義務があるから、いかなる原因でデフレが起こっているにせよ、(デフレを妨げた以上)責任があるのだ。もちろん、期待可能性がないときには、責任は阻却される。」

(下線は筆者)

黒田総裁は1973年の石油危機を例に挙げ、原油価格上昇の一次的影響によるインフレ率の上昇は中央銀行の責任ではないものの、二次的影響によるインフレは中央銀行に責任があるとして、次のように述べています。「(中央銀行が)一回限りの石油価格上昇を中期的なインフレにしてしまえば、責任を問われることになるだろう。」

こうした黒田総裁の法的思考が、これまでの大胆な政策行動の根底にあることがうかがえます。

「適応的」インフレ予想 黒田総裁は、インフレ予想が「合理的」ではなく、むしろ「適応的」なものであるとの仮説、つまり、人々が過去および現在のインフレ率をもとに将来のインフレ予想を形成するとの仮説に同意しています。2015年4月19日の講演の一節を引用します。

「ボストン連銀のジェフリー・ファーラーは、米国の時系列データを用いた最近の研究において、先行き4四半期のインフレ予想の変化のうち、およそ40%は、過去の実際のインフレ率の動きで説明できると述べています。ファーラーの研究と類似の誘導型の回帰分析を、日本のデータに適用すると、過去のインフレ率のインフレ予想の変化に対する説明力は、米国よりも高いという結果が得られやすいことが分かっています。日米間の対照的な結果は、米国において、インフレ予想が、よりしっかりとアンカーされている、すなわち、過去のインフレ率の影響を受けにくいということを示唆していると考えられます。」

総裁がこのように考えていることは極めて重要です。インフレ予想が適応的ではなく合理的であり、中央銀行のインフレ目標にしっかりとアンカーされているのであれば、中央銀行は実際のインフレ率の短期的な変動に目をつむることができます。そうではなく、日本のように、インフレ予想がアンカーされておらず、実際の(低下する)インフレ率に大いに左右されている場合には、中央銀行はそれに対応するであろうと解釈できます。日銀は2014年10月、原油価格の下落に対応して意表を突いた追加緩和を実施しましたが、その背景は、日本におけるインフレ予想に適応的な性質があるとの黒田総裁の経済学的見解と、期待可能性という概念を念頭においた法的思考でおそらく説明できます。黒田総裁の考えでは、原油価格下落の二次的影響によってインフレ予想が低下すれば、それは日銀の責任であり、日本のインフレ予想の適応的な性格を勘案すれば、そうした影響が顕在化する公算が大きいということになります。この先、(株価急落や円高などの)大きなショックによってインフレ予想が抑えられるような事態になれば、それをきっかけに追加緩和が実施される可能性があります。

長期的なポリシー・ミックスと外的要因 デフレからの脱却には、金融と財政が足並みを揃えたリフレ策が必要です。日本では財政出動の余地がほとんどありませんが、安倍首相のリーダーシップのもとで、拙速な財政引き締めは回避されるものとみられます。最近発表された財政改革に関する方針は、歳出削減や大幅な増税ではなく成長によって財政改革を遂行していくという現政権の明確なメッセージを伝えています。現政権の成長主導の財政改革を援護するうえで、日銀は重要な役割を果たすことになり、引き続き緩和が求められます。明らかに財政が厳しい日本の現状では、将来、経済状況が改善し、リフレ政策の正常化を促す局面を迎えても、日銀の正常化は財政政策のそれに従属的になるとみられます。

中国はデレバレッジと長期的な景気減速過程にありますが、これは景気刺激策が必要な日本にとって強力な外的逆風になります。中国の景気減速は、日本や米国などコモディティの輸入国にとって追い風にもなりえますが、グローバルの輸出需要にとってはあきらかなマイナスであり、とりわけアジアの打撃が大きくなります。10年前の時点で、中国は既に米国、ユーロ圏に次いで世界第3位の輸入国でしたが、それ以降、輸入は2倍の年1兆8,000億ドルに増加し、ユーロ圏に匹敵する水準に達しています。

日銀の政策の「ゴールポスト」 ここまで述べてきた要因は、日銀の次の一手が追加緩和である可能性を示唆していますが、他のいくつかの要因は、それほど単純ではないことを示唆しています。

2%というインフレ目標は日銀が明言した「ゴールポスト」であり、黒田総裁率いる日銀がその達成を強力にコミットしていますが、投資家はこのゴールポストが柔軟になりうる可能性を排除すべきではありません。黒田総裁が述べているとおり、2%のインフレ目標は「国際標準」であり、それを下回る目標を掲げることは、結果として円高を促しデフレを誘発する可能性がある点で自滅的です。とはいえ、世界で最も急激な高齢化の問題を抱える日本で、2%という目標はほんとうに適切なのでしょうか。高いインフレ目標は、高齢者には常に受け入れがたいものです。日本では、65歳以上の高齢者がいる世帯が全体の40%以上を占めています。自身の貯蓄からの支出に頼る高齢者層にとってインフレは経済的に痛手ですが、何より重要なのは、日本ではこうした高齢者が有権者の大半を占めているということです。消費税増税であれ円安の結果であれ、インフレがいかに消費者に打撃を与え(インフレを相殺する賃金の上昇がなければ、勤労者すら打撃を受け)、ひいては政治的安定を脅かすかを、政権は痛い思いをして学びました。

2%というインフレ目標をたとえば1%に引き下げるなど、ゴールポストを明示的に動かすことはありえないものの、インフレ目標の運営をより柔軟にすることで暗黙的に動かすことはありうるとPIMCOではみています。日銀は既にその第一歩を踏み出し、2013年4月の量的・質的緩和の開始時点からおよそ2年後としていた、当初の達成時期を後退させています。

量的・質的緩和の技術的限界 日銀の量的・質的緩和は未曾有の規模であり、日本の財政赤字の2倍のペースで国債を買い入れていますが、このペースを永遠に続けることはできません。日銀は既に最大の国債保有者であり、発行残高の約27%を占めています。現在のペースで緩和を続ければ、2020年には65%(!)にもなります。しかしながら、それよりも前に量的・質的緩和の継続が困難になるとみられます。というのは、将来のどこかの時点で、銀行や保険会社の国債保有水準が担保や負債の見合いとして必要な最低限の水準に達し、国債の売却を停止するとみられるからです。PIMCOでは近い将来のリスクとはみていませんが、追加的な量的・質的緩和には、技術的な限界の顕在化という将来のトレードオフを念頭においておく必要があります。

まとめると……

日銀が物価安定義務を果たすという黒田総裁のコミットメントは、依然として揺らいでいません。長期的なポリシー・ミックスと海外 経済の逆風は、中長期的に緩和的な政策スタンスがとられる可能 性を示唆しています。日本の財政難を踏まえれば、リフレシナリオ が順調でも、日銀は金融抑圧を継続するものとみられます。

短期的には、量的・質的緩和策の現状維持が最も蓋然性の高いシ ナリオですが、年後半に追加緩和が実施される可能性も残ってい ます。それほどCPIが2016年に2%近くに上昇する可能性は低いの です。しかしながら日銀は既に、インフレ目標に関してより柔軟な アプローチにシフトしています。また企業(とりわけ大企業)のデフ レマインドは大きく後退し、賃上げや成長投資に前向きな姿勢へ と転換しています。こうしたプラスのモメンタムを踏まえ、日銀に 焦りはありません。追加緩和の可能性が高まるのは、株価、通貨、 原油などデフレのショックが発生し、インフレ予想にリスクが差し 迫った場合だと考えられます。

投資におけるインプリケーション
投資にはどのような意味をもつのでしょうか。為替は長期的な円安基調にありますが、少なくとも短期的に、現在の水準からの円安ペースは鈍化するとみられます。とはいえ、日本のリスク資産は引き続き底堅いとみられます。日銀の強力な下支えを勘案すると、日本国債の利回り曲線の長期部分は、それ以外の部分に比べても、さらには他の先進国国債の同等の部分と比較しても魅力的だと考えられます。しかしながら、日銀の現行の政策が(差し迫っていないとしても)いずれ技術的限界に達する可能性は念頭に置いておくべきです。

正直 知哉
マネージング・ディレクター

本資料は英文資料を翻訳したものであり、内容や表現に原文との相違がある場合は原文が優先します。

著者

Tomoya Masanao

アジア太平洋共同運用統括責任者

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