世界の中央銀行動向

​イングランド銀行にフォワード・ガイダンス再び

イングランド銀行(BOE)は、英国が慢性的な低インフレ、もっと言えばデフレのリスクにさらされているとの見方を懸命に払拭しようとしているようにみえます。とはいえ、BOEのインフレ予想には下方リスクがあるとPIMCOではみています。BOEの声明は、予想される米国の利上げに先立ち、英国債市場でリスク・プレミアムを上乗せする役割も持つ可能性があります。BOEの狙いは、英国の金融政策の次の一手が利上げであるとの見方を市場に「定着させ」、早期利上げに関する実際の期待は抑えることだと考えています。

こ数週間の英国には相当驚かされました。なんといっても特筆すべきは5月7日に実施された英総選挙であり、今回も連立政権やむなしとの大方の予想を裏切って、保守党が過半数を獲得しました。とはいえ、意外だったのはそればかりではありません。イングランド銀行(BOE)の金融政策委員会(MPC)にフォワード・ガイダンスが戻ったことも驚きでした。4月の議事録で、市場が予想する利上げに転じた後の利上げペースは「きわめて緩慢だ」と議論されていたことが明らかになったのです。実は、MPCは数字にまで踏み込んでおり、「きわめて緩慢なペース」を「四半期あたり0.3%前後」と定義しています。この議事録を読んで真っ先に考えたのは、四半期で0.3%はきわめて緩慢なペースだが、そもそもこの数字はどこから来たのか、ということでした。MPCのコメントは、政策金利が最初に0.25%引き上げられた後、1%上昇するのにかかる時間に影響を与えるものとみられます。つまり政策金利が1.75%になるということですが、議事録が公開される前日の取引終了時点の英国債10年物の利回りが1.57%だったことを踏まえると、政策金利が1.75%に達するには何年もかかるとみられるのも理解できます。実は、MPCのコメントは、事実上、5年物および10年物の利回りを高めに誘導するものと受けとめられました。本稿の執筆時点で、MPCのこの狙いは確実に成功しています。

BOEの最近の政策の総括といえるのが、2015年5月に発表された四半期インフレ報告です。この報告書は(利上げ方向での)フォワード・ガイダンスを補強するというよりも、MPCの議事録のコメントを事実上、確認する内容になっています。では、この報告書で、英経済の見通しはどうなっているのでしょうか。2016年半ばに利上げが始まるとの予想は妥当なのでしょうか、また利回り曲線は依然として平坦すぎるのでしょうか。

足元の経済状況
まず、足元の経済状況を見てみましょう。2015年5月19日の国家統計局の発表によれば、英国の消費者物価指数(CPI)の総合指数は前年同月比で-0.1%、(変動の大きい食料品とエネルギーを除いた)コア指数は同0.8%となっています。BOEの中期インフレ目標は前年比2%で変わっていません。四半期インフレ報告と並んで、5月13日の記者会見でマーク・カーニーBOE総裁が説明したように、食品およびエネルギー価格の下落と、足元のポンド高を背景とした輸入物価の下落を受け、CPI総合指数を構成する品目の約75%で、上昇率が目標の2%を下回っています(2015年5月13日付け、BOE総裁の財務相宛ての公開書簡)。カーニー総裁は、こうした物価の状況は一時的なものであり、トレンドを上回る成長が続くなかで、こうした物価下押し要因はなくなり、需給ギャップの解消が進むことが相俟って、2017年半ばにはCPIが2%に戻り、その後、緩やかに上昇すると予想しています(図表1)。こうした中央銀行の言葉からは、この先2、3年での金融引き締めをかなり明確に表明する意図がうかがえます。

ポンド高の影響とは
CPI予想で際立っているのは、CPIが目標の2%に戻るスピードです。2%に戻るには、ポンド高を背景とした足元の物価下方圧力が解消されるだけでなく、国内要因のインフレが加速することが必要です。この点から、前回、英ポンドが大幅に上昇した1995年半ばから1998年初頭の状況を振り返っておくことが重要です。この間、ポンドは貿易加重平均で28%上昇しましたが、1年後のCPIは低水準にとどまり、その後の5年間はほとんど動きがありませんでした。もちろん、グローバル化の影響など、この間に特有の要因もありますが、国内の景気が好調だったにもかかわらず、物価が慢性的に低水準にとどまっている状況は特筆すべきです。ここから、足元での14%のポンド高の影響が早期に解消されるとの見方は、楽観的過ぎる可能性があります。

健全な賃金上昇の重要性
国内要因の物価上昇については、依然として労働市場がカギを握ります。景気回復を支え、国内物価に上昇圧力をもたらし、利上げサイクルに対応できるだけの金融耐性を消費者に与えるには、名目賃金の上昇が必要です。保守党が選挙期間中、苦労して強調したように、労働市場ではきわめて順調に雇用が創出され、金融危機以降、200万人を超える雇用が生まれています。失業率は2011年のピークの8.4%から、直近で5.5%に低下しています(出所:国家統計局、2015年5月13日時点)。こうした好調な雇用とは裏腹に、生産性と賃金は伸び悩んでいます。図表2を見てもわかるとおり、名目賃金の伸びは、過去5年の好調な時期でも、0%から2%の間で低迷しています。

長引く賃金の低迷は、英国の景気が回復するなかで長らく謎の1つになっていますが、解決されているようにはみえません。英国では、物価の安定と両立する失業率の水準は5%だとする見方が有力です。失業率が5.5%に低下している現状を踏まえれば、依然として低水準にある賃金がある程度上昇し始めるものとみられます。拡大鏡を通せば、ある程度、希望が見えますが、数字を子細に検討する必要があります。賃金の総合指数は過去3カ月平均ですが、最後の1カ月だけをみると3.3%伸びており、ようやく賃金にある程度の上昇圧力がかかり始めたことを示唆しています。もっとも、賃金上昇は前にも見られたことから、そう断言するのは時期尚早です(だからこそ、総合指数では3カ月平均が使われています)。

以上を総合すると、BOEの中期CPI予想をめぐるリスクは、下方に傾いています。しかも、この予想は政治的サイクルを考慮しておらず、足元での国内景気の強さを考慮すると、今国会の早い段階で、一段の財政引き締めが行なわれる可能性があります。英国の議会の任期は5年ですが、昨年度末時点の財政赤字の対GDP比は4.8%で、任期の早い段階で痛みを取り除いておくことは、政治的にも理に適っています。これは、国内要因のインフレを抑制する方向にはたらきます。

期待を管理する
これらを総合すると、MPCやカーニー総裁が、市場金利を高めに誘導するのに熱心なのはなぜでしょうか。国内および国際的な要因がいくつかあります。1つには、物価の下押し圧力が一時的であるとのMPCの見方を強調する目的があるとみられます。カーニー総裁の同僚であるBOEのチーフ・エコノミスト、アンディ・ホールデン氏は、英国のインフレ関連データを「ハト派のように」注視していると語り、金融政策の次の一手は、どちらの方向にも傾く可能性があると発言したことを踏まえると、この点は特に重要です。つまりMPCは、英国が慢性的な低インフレ、もっと言えばデフレのリスクに直面しているとの市場の見方を懸命に払拭しようとしているのです。

また、英国の金利が米国のそれと相関性が高いことも一因だと言えます。足元で米国の経済指標はやや軟調だとはいえ、米連邦準備制度理事会(FRB)は引き続き2015年後半のどこかの時点で利上げに踏み切るものとみられています。FRBにとっては9年ぶりの利上げとなるため、利上げ前後に、市場変動がある程度大きくなると予想されます。MPCの発言の根拠の一つとして、予想されるFRBの利上げに先立ち、英国の債券市場のリスク・プレミアムを高めておくことが挙げられます。

見方を定着させる
最後に、MPCが引き続きフォワード・ガイダンスを熱心に支持しているのは明白です。しかしながら、以前と違って、今回のフォワード・ガイダンスには、FRBさらにはBOEが利上げに転じる前に、英国債の利回りが低くなり過ぎるのを避けようとする意図がうかがえます。現時点で、MPCよりFRBの方が実質的に利上げに近づきつつあるようにみえます。

英経済はもともとポンド高に強く反応する傾向がありますが、国内では一段の財政引き締めに直面しています。一方、英国の住宅ローン市場は、変動金利や2年から5年の短期固定金利が中心であることから、政策金利を引き上げると、多くの人たちの住宅ローン金利が数カ月のうちに上昇し、消費者への直接的な影響が大きくなります。名目賃金の伸びが低水準にとどまり、過去5年のうちかなりの期間、実質賃金の伸びがマイナスだった事実を踏まえると、英国での金融引き締めの前に警戒を呼び掛ける議論には説得力があります。

以上に加え、CPIは2016年いっぱい、さらには2017年に入っても目標の2%を下回ると予想されることから、英国が利上げに転じるのは、早くても2016年半ばだとPIMCOではみています。これを前提にすると、現在のフォワード・ガイダンスの狙いは、次の一手が利上げになるとの見方を市場に「定着させる」ことにあり、英国において早期に利上げが行われるとの実際の期待をさせることでは一切ないといえるでしょう。そしてそれは、利回り曲線の短期ゾーンがさらに大幅にスティープ化するのはまだまだ先のことであるだろうことも示唆しています。

著者

Mike Amey

ポンド建てポートフォリオおよびESG戦略統括

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