永遠に生きる人はいません。では、なぜ一般に退職から18年後、個人は貯蓄の20%しか使っていないのでしょうか?自分の資産を守りたいのだとすれば、アメリカ人の半数近くが最も早い62歳で社会保障年金の受給を開始し、67歳時点で満額が受給可能となるにもかかわらず、満額の約70%しか受け取っていないのはなぜなのでしょうか1? もちろんお金については、常に合理性で割り切れるものではありません。特に退職については、そう言えるでしょう。この問題は複雑で不確実性があり、恐れや不安の感情を引き起こし、それが合理的な意思決定を妨げるかもしれません。 こうした問題への1つの対処法は、業界(コンサルタント、アドバイザー、年金制度提供者、資産運用会社)が行動ファイナンスの知見を援用することです。それにより、退職を迎える人々に、より賢明でより合理的な意思決定を促すことができるとPIMCOでは考えています。 実際、行動ファイナンスの知見は、退職に備える資産形成を助けるうえで重要な役割を果たしてきました。企業が設定する退職金口座への自動加入やターゲッテド・デート・ファンドなどの既定の投資は、資産積み立てを活性化し、規律ある投資戦略の活用を促進しています。こうしたことから、慣性という認知バイアスはマイナスからプラスに変換されます。 しかしながら、退職後の個人に合理的な意思決定を促すことは、より難しい課題です。退職時あるいは退職直前に必要な意思決定は、退職後の「黄金期間」を楽しめるかどうかを大きく左右するものであり、資産形成局面での意思決定より複雑になるのは間違いありません。こうした意思決定は単独でも複雑ですが、それぞれの決定が相互に関連し合っているためにいっそう複雑なものになっています。この点については、最近の研究で概観したとおりです。確かに、何歳まで生きるかわからない中で、社会保障年金をいつから受給するのか、資産をどう投資するのか、個人年金を購入するのか、貯蓄をどの位のペースで取り崩すのか、といった重要な問いに答えることは、金融の高度な知識をもつ専門家でも簡単ではなく、控えめな貯蓄と限られた金融知識しかない個人にとっては尚更です。 以下では、行動ファインナンスの知見が、多くのアメリカ人により合理的な意思決定を促し、退職保障を向上させる可能性のある4つの意思決定を紹介します。 1)社会保障年金 私共の研究では、平均的な健康と適度な資産をもつ個人は、社会保障年金の受給を70歳まで繰り上げる方が望ましいことを示しています。 しかしながら、社会保障年金の受給資格のある対象者の約90%が、満額を受け取れる67歳よりも前に受給を申請しています。もちろん、早期に受給を開始する合理的な理由は存在します。健康状態の不良、限られた蓄え、配偶者への配慮、社会保障制度の存続への懸念、といったことがあるでしょう。とはいえ、大多数の個人は最適な意思決定をしていないのは明らかです。 このように大多数が早期受給を選択している理由は、「 現在バイアス」で部分的に説明できると考えられます。現在バイアスとは、将来の報酬よりも目の前の報酬を受け取ることを好む傾向です。 こうした行動を変えるのは容易でないことは、学術研究で示唆されています。ただ、金融リテラシーを高めること、早期選択が及ぼす影響を十分に伝えていくことが解決の一助になると考えられます。特に、それが人間の強力な感情である後悔を強める場合は有効になるでしょう。 2)個人年金 退職後計画で特に難しいのは、自分が何歳まで生きるかわからず、したがって自分の資産がどれだけ持つかわからない点にあります。据置年金などある種の年金は、一般に長寿リスクと言われる資産枯渇リスクへの対処を目指しており、それゆえ退職計画の問題を大幅に簡素化するものです。据置年金は、生涯にわたって収入が保証され、将来のある時点から支払いを開始します。例えば65歳の退職者が85歳で支給が始まる据置年金を購入すれば、安心して資産の一部を取り崩すことができる可能性があります。 ではなぜ、個人年金を購入する人は多くないのでしょうか?確定拠出年金の加入者のほとんどにとって、個人年金は単純に利用できないのです。利用できる場合でも、個人年金は割高で複雑と見て、購入する人は少ないのが現状です。 さらに行動科学は、感情も重要な役割を果たしていることを示唆しています。スザンヌ・シュー、ロバート・ツァイトハンマー、ジョン・ペインの調査によると、ある人が個人年金を検討するか否かを予測する最善の指標は、公平性の問題への感応度、特に保険契約者が死亡した場合に保険会社が余剰資金を保持し続けるという考え方をどう捉えるかによるとされます。 年金は買われるものではなく売られるものである、という古い格言は、年金に対する認知バイアスを克服するには、個人に合わせた教育と助言が必要であることを示唆しています2。 もちろん、個人年金の導入率がすぐに変化する可能性は低いでしょう。したがって、ある種の個人年金と同様の相対的な安定性をもたらし、長寿リスクをヘッジするには、株式よりも債券を選好する、より保守的なアセット・アロケーションを想定する必要があります。 3)アセット・アロケーション 退職を控えた人々は、貯蓄を株式と債券にどう投資するかを決定しなければなりません。PIMCOのモデルでは、個人が退職後の安定的なインカム収入を目指していることを重要な前提としています。株式の組入比率を引き上げると、退職後の収入が上がり、生活の質を高められる可能性がありますが、それに伴い不確実性も高まります。逆に債券の比率を高めると、インカムの確実性は高まりますが、水準は低くなるでしょう。 私共の調査では、資産の多い人ほど、少ない人よりも株式のエクスポージャーを減らすべきであることが明らかになっています。年齢を重ねるほどリスク回避的になるからではありません。資産が増えるほど、インカムの源泉として債券と似た役割をする社会保障年金が総所得に占める割合が低下することが、その理由です。このことから資産の多い人ほど、自身の金融ポートフォリオの中で、失われた定額収入を債券に置き換える必要があることになります。つまり社会保障年金は、アセット・アロケーションの決定を主導する最も重要な要因の1つと言えるでしょう。 しかしながら実証データでは、ポートフォリオのリスクを引き下げる個人は少ないことを示しています。年齢別で見ても資産別で見ても、約60%を株式に約40%を債券に配分したポートフォリオを保有する個人がほとんどであることが示されています。 4)消費比率 退職者にとって元本の取り崩しはどの程度が妥当なのでしょうか?取り崩すペースが速すぎると資産が枯渇し、生活スタイルが維持できない恐れがあります。逆に、消費を控えすぎると、生活の質が必要以上に損なわれかねません。さらにこの問題を複雑にしているのは、今後の株式と債券の利回りが過去数十年に比べて低くなるとみられることです。 退職後の生活の質を最大限に高め、安定的なインカムを確保することを目標にする場合、ほとんどの個人はインフレ調整後で、毎年貯蓄の3.5%~5.0%前後を消費に回す余裕があります。この消費の比率は、主として、ポートフォリオのリターンと元本の両方から消費に回す意欲と、長寿リスクに対処する意欲によって変わってきます。据置年金の形で長寿リスクへの対処に資産のかなりの割合を割り当てるつもりであれば、レンジの上限の消費は正当化されるでしょう。 興味深いことに、退職時の資産水準に関係なく、退職者のほとんどは、元本を取り崩して消費に回すのではなく、社会保障年金、個人年金、投資ポートフォリオから得られるインカムのみを消費に回すことを好みます。典型的な退職者は、退職から18年経っても資産の20%しか使っていないのです3。 もちろん、その理由が不合理だとは到底言うことはできません。元本を取り崩すことへの抵抗は根強く、その背景には、将来的な諸費用や医療費への不安、長寿リスクに対して自ら保険を掛けようとしていること、また限られた少数の人たちにとっては資産を相続させたいとの意向があるのでしょう。 こうした心の会計バイアスを克服するために、インカムを消費に回し、元本を維持したいという人々の選好を、退職インカム・ポートフォリオの設計に取り入れるべきであることはあきらかです。特に、値上がり益よりもインカムのリターンを重視するポートフォリオは、ポートフォリオを安定化させ、各自の目的に応じて開始する退職後の消費を促進する可能性があります。 結論 退職に向けた最適な意思決定は、そもそも難しいものです。人間ならではの感情と認知バイアスから、多くの人々は最適ではない判断をしています。金融業界は今こそ、行動科学の知見をうまく活用して、退職者がより良い意思決定と退職後の豊かな生活を実現できるよう促すべきだと言えるでしょう。 1 67歳は1960年以降に生まれた人たちが社会保障年金を満額受給できる退職年齢。 2 一部の据置年金の契約は、支払い開始前に保険契約者が死亡した場合、受益者に死亡給付金を支払う場合があります。 3 ebri.orgを参照。 シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスの PIMCO意思決定調査研究所 は、人々が実際に生活し働く場において、最も強い影響力のある行動科学上の調査・研究ができる機会を研究者に提供します。シカゴ大学とのこの画期的なパートナーシップを通じて、PIMCOは人間の行動や意思決定のメカニズムをより深く理解することを一層推し進める様々な研究を支援し、ビジネスのみならず社会において、各リーダーたちがより賢明な意思決定を下せるよう支援していきます。
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