アルファ・ベータ欠乏症
一部の読者の皆様は私がこの15年間、切手の収集を趣味にしてきたことを御記憶かもしれません。実際のところ、ほとんどの方にとって、切手収集はあまり馴染みのない話でしょうし、私の妻と同じような趣味をお持ちの方の場合には特にそうだと思われます。妻は私がすることすべてに積極的に関わる方なのですが、私がコレクションに加える新たな切手を家に持ち帰り、彼女を感心させようと、その切手をキッチン・テーブルに注意深く飾ると、妻は微笑み、切手を指差して優しく「あら見事だこと」と言った後、おもむろに自分の結婚指輪を指し、「ねえ、この古い紙切れと、こちらの光り輝くダイヤ、私がもらって嬉しいのはどちらだと思う?」と聞くのです。そうなると、私の切手には出番がありません。切手は埃をかぶったアルバムの中に仕舞われ、彼女のダイヤにカリフォルニアの陽光が注がれることになります。
しかし、私が自らの切手収集に応用した投資の論理とPIMCOでの運用との間に共通点があるという点だけを取っても、私は切手収集を続けてきてよかったと感じています。1990年代初頭、私は切手や収集品が正当な「資産クラス」であったとしたら、その年率換算した値上がり率、すなわちトータル・リターンは株式や債券、不動産といった正当な保有資産に近い水準になると考えました。私の想定に願望が入っていたことは確かです。ひと昔前、ビーニーベイビーやキャベツ畑人形はコレクターの間できわめて高い人気を博しましたが、近い将来、こうした収集品の年率換算リターンがイボットソン・シンキュフィールドの年鑑で取り上げられることはないでしょう。しかし、切手や硬貨、美術品の収集が長期的に持続するものだとすると、そのリターンは他の資産セクターに近いものとなるはずです。そう考えられる理由は、収集品を含め、すべての資産の価格は同一の要素、すなわち名目GDP成長率に連動しているからです。金融レバレッジの活用と投資家行動の予測不能性が1対1の完全な相関を歪ませることは確かですが、資産価格の上昇の大部分は将来の成長の現在価値であり、名目GDPの長期的な動きに近くなることは、学者を含め大方の一致した見解になっています。名目GDP成長率は、国内生産、資産創出、購買力といった、いずれも年間のドル価値で表される要素の伸び率を反映したものとなるためです。資本資産価格モデルの論理もこの点を裏付けています。チャート1は主要3資産がGDPよりもわずかに速いペース(プラス1.4%)で成長したことを示しています。その理由として、金融レバレッジと経営レバレッジの活用、ヒストリカルにみて資産の上昇率よりも低い利回りでレバレッジをかけることが可能であったこと、そして重要な点として、過去25年にわたるディスインフレを挙げることができます。このディスインフレにより、将来のGDP成長率に対する期待や想定に対して資産のリターンが押し上げられてきました。私たちは今、1970年代にみられたように、資産価格の上昇率が長期的な名目GDP成長率と等しいかそれ以下となる、ディスインフレの最終局面に入ろうとしているところかもしれません。
随分と沢山のことを申し上げましたが、切手に関わりなく、私の説明はご理解いただけたでしょうか。私がこの話を持ち出した理由は、「ベータ」、すなわちさまざまな資産クラスのリターンと名目GDP成長率との間に相関があるとすると、今後は「ベータ」が欠乏すると考えざるを得ないと指摘することにあります。そして、ベータの欠乏に対する認識が広がり、それに投資家が対応することよってリスク・スプレッドが縮小すると共に、潜在的なアルファが低下し、結果として、アルファとベータが共に投資家の期待に満たない水準にとどまり、場合によっては米国全体の負債のイミュナイズ、免疫化が可能になる水準に到達しない事態が起こりえることになります。
次のチャート2はこうした将来のリターンに対する懸念を示したものです。名目GDP成長率は11%超の水準から低下し、過去5年では平均で5%を下回っています。そのため、将来の資産のリターンも同程度になると予想されます。チャート1は、5%のGDP成長率をレバレッジによって6%、もしくは7%に押し上げることが可能であることを物語るものですが、FF金利が足元のGDP成長率よりも高く、さらにはディスインフレの終焉が間近に迫る局面では、レバレッジによる押し上げが困難であることは確かです。いずれにせよ、株式や債券、不動産(そして切手!)の合計から得られる近い将来のリターンは平均して最大年間6~7%になると考えられます。
大学の学費であろうと、医療費であろうと、借入金であろうと、将来の負債を全体として支払うためには、6~7%では不十分と考えられます。だからこそ投資家はより高いリターンを生む商品を強く求めてきました。投資家はこう言います。「6~7%ではなく、昔のように9~10%が必要なのだ。市場に打ち勝つためには、ヘッジ・ファンドや投機的マネージャーなど、レバレッジを使ったリスク指向の商品に、貯蓄を振り向けるか、資産を再配分することになるだろう。私は高いリターンを求めることにするよ。君達は古臭い債券やインデックス指向の商品で低いリターンに甘んじてくれたまえ」。そして、将来見込まれるベータ不足はより多くのリスク・テークにつながり、リスク資産の価格を押し上げると共にリスク・プレミアムを一層低下させ、(今のように)いずれかの時点で、アルファの欠乏を招くことになります。国際決済銀行(BIS)の最近の研究によると、リスクのプライシングが横並びという暗黙の想定に基づいた場合、株式や債券、為替市場の年間ボラティリティは過去最低水準に近づいています。次のチャート3はBISがこの主張を裏付けるために利用した多くの例のうちの1つです。リスクのプライシングが圧縮されていること自体は、アルファよりも将来のベータ不足に対する懸念材料といえるかもしれませんが、どの資産クラスであれ、アルファの醸成に成功するチャンスはリスク・スプレッドが広いほど、大きくなることは間違いありません。
とは言うものの、BISは数々のファンダメンタルズ要因によってリスク・スプレッドの低下を正当化できる可能性があるとも指摘しています。そのうちの代表的なところを挙げると、グローバリゼーション、過去数十年の経済成長にみられる「大いなる安定」、中央銀行による政策運営の透明性向上、金融デリバティブ商品における技術革新とその浸透などがあり、こうした要因はリスクを分散させると共に、流動性の高まりを後押しすることが可能です。私はBISの主張の大部分に賛成しますが、同時に私は、過度の楽観がリスク・スプレッドを低下させると同時に金融レバレッジを上昇させ(ミンスキーの言うポンチ金融)、最終的に経済と金融市場はダウンサイドに対して脆弱になるため、安定はいずれ不安定をもたらすという、グリーンスパン前FRB議長や、経済学者ハイマン・ミンスキーの見解にも賛成です。金融機関は近年、資産のボラティリティが低下しているにもかかわらず、最終的に全体のリスク・エクスポージャーを増加させた可能性があると、BISは指摘しています。
投資家、そして重要な点としてPIMCOも、アルファとベータが欠乏するこの新たな世界にどのように参加するかを選択することが必要になります。すなわち、リスク・スプレッドが踝程度までしかないプールに飛び込むのか、以前のようにプールが十分な水を湛えるまで、待つのかです。BISが指摘したファンダメタルズ要因に間違いがなければ、プールの水深が浅くても骨折することはないでしょう。しかし、安定が実際にミンスキーの言う不安定につながるとすると、悪いタイミングでレバレッジの引き上げを決めた気の毒な投資家と運用マネージャーが続出することになるでしょう。アルファとベータが欠乏している環境が不安定化しないとすれば、古いアクティブ運用のルールに従って投資することは、将来にわたって年間100bpのアルファを達成しようとするPIMCOの試みを難しくさせる可能性があります。また、新しいルールはある部分で、レバレッジのかかったリスク・スプレッドが歴史的低水準にあるとの想定が必要になりますが、この新たなルールに従った投資は、不安定さが戻ってきた場合に、低い絶対リターンやマイナスのアルファをもたらす可能性があります。一見したところリスクがなく、運用リターンがますます低くなるとみられる環境において、投資家の資産のリターンと、ポートフォリオのアクティブ運用はいずれもリスクにさらされています。
では、どうすべきなのでしょうか。先ほど申し上げた通り、私自身、そしてPIMCOは、名目GDPの低いこの新たな世界の現実とファンダメンタルズの多くを受け入れています。5%のGDP成長率と圧縮されたリスク・スプレッドが過去の水準に恒常的に回帰する可能性は低いとみられるため、金融分野における技術革新と中央銀行の透明性、そしてグローバリゼーションがもたらす景気変動の「大いなる安定」までもが、豊かなアルファとベータを得られた古き時代の終焉を力強く主張しています。ただし、PIMCOはリスク・スプレッドが向こう12~24ヵ月間、現在の低水準にとどまることはなく、米国の住宅が引き金になるか、世界の過剰投資や地政学的イベントが引き金になるかはわかりませんが、いずれ一時的に不安定な状態が戻ってくるという認識も持ち合わせています。この2つの主要な想定が正しいとすると、当面の戦略的および構造的対応の指針となるのは、ニューエイジ的な変化の受容と、良好と思われる資産が短期間のうちに悪化する場合があるというオールドエイジ的な知恵になります。
そうしたニューエイジ的受容を具現化するのは、過去に比べて日々及び年間のボラティリティの上昇につながる集中度の高い戦略を積極的に活用しようとする姿勢です。この新たな世界ではクローゼット・インデックス・ファンドは排除されます。これまでのPIMCOのやり方で適切な選択がなされたとすると、ボラティリティの上昇はそうでない場合に比べて、高いアルファと高いリターンをもたらすはずです。そうなると、PIMCOのお客様が獲得するリターンは上昇し、ヘッジファンドやプライベート・エクイティに投資した場合のみ達成可能とも思われる2桁近い水準に若干近づくことになります。そして、お客様はオルタナティブ投資に支払う何分の1かの手数料で、それを手にすることができるのです。こう書くと、PIMCOは安上がりなヘッジファンドに変身しようとしていると思われるかもしれません。それは違います。そうではなく、PIMCOは一時的なボラティリティの上昇を受入れても、お客様のために追加的アルファを獲得可能と思われる形で、最も確信が持てる戦略の拡張を図る必要があることを意味しています。
オールドエイジの知恵が警告しているように、ニューエイジのリスク・スプレッドは常識で正当化できるものではなく、投資家であれ、PIMCOであれ、戦略の規模を拡大するのであれば、主観的かつ定量的に特定されたリスクに対して、最も魅力あるリターンを生み出すわずかな分野に集中すべきです。読者の皆様はマーコヴィッツ流のポートフォリオ分散化の利点について、よくご存知でしょう。しかし、アルファが欠乏する世界では、過大評価された資産で構成される分散ポートフォリオは投資家にアルファ不足をもたらすだけでなく、「安定」が全面的な「不安定」に移行すると、ベータが大幅に低下する可能性があります。したがって、リスク・スプレッドが圧縮されていると考えるニューエイジのPIMCOは、インデックスのリスク・スプレッドが過大評価されているとの判断を基に、インデックスに対する執着から積極的に距離を置くことが必要になります。しかし、PIMCOが規模を拡大して採用する戦略はチャート4が示すオールドエイジの円とニューエイジの円が重なる部分に入るものではなくてはなりません。
こうした戦略はスプレッドの圧縮されているニューエイジが持続する場合、もしくは不安定さが高まる中で、一時的にスプレッドが拡大する場合に有効です。一言でいうと、好ましい形の集中は、短期の高格付セクターとデュレーションの伸長であり、特に10月にみられたような下落市場が到来する場合、そうしたポジションが有利になります。ニューエイジのスプレッドが持続した場合、高格付の短期セクターのポジションとデュレーションの伸長は相対的に高水準の構造的リスク・プレミアムによる恩恵を受けます。一方、オールドエイジ的な不安定さが色濃くなる場合には、FRBが短期金利を大幅に低い水準に引き下げるため、こうしたポジションにはさらに大きなメリットが生じます。
アルファとベータが欠乏する世界において、切手やダイヤの指輪、株式、債券、不動産などの値上がりが予想に満たない危険性が高まると、投資家はリターンを最大化して、不足分の補填を図ろうとします。私が思うに、賢明なる投資家とは、この現実を認識すると同時に、そうした変化に伴うリスクを理解している投資家です。PIMCOはこのように穏やかに見える将来の急流に対して、持てる英知を結集して対応し、「債券の権威」であり続けたいと願っています。
ウィリアム・H・グロースマネージング・ディレクター
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