レバレッジ引き下げのパラドックス
私の大学時代、ほとんどの学生は、まずミクロ経済学を学んでからマクロ経済学の授業を取ったものです。私の母校のグリンネル・カレッジでは、ミクロ経済学の単位を取得してからでないと、マクロ経済学は取れませんでした。理由は単純です。マクロ経済学を学ぶうえで出発点となる概念、すなわち需要と供給をまず教えるのがミクロ経済学だからです。ですが、マクロ経済学がミクロ経済学の結論をまとめたものではなく、ミクロ経済学の結論との相互作用を扱うものだと直感的に理解できてはじめて、ミクロ経済学とマクロ経済学の両方を会得したと言えるのです。
私にとって、マクロ経済学がミクロ経済学の結論の相互作用を扱っていると教えてくれたのは、「倹約のパラドックス」という単純な考え方でした。忘れてしまった方のために、ご説明しましょう。貯蓄を増やそうとして、すべての個人が支出を削ってしまうと、社会全体の貯蓄はかえって減ってしまう。これが倹約のパラドックスです。というのは、ある個人の支出が、別の個人の所得、つまりは貯蓄の源泉になっているからです。
この原理は、「合成の誤謬」という名で呼ばれるマクロ経済学の幅広い概念の一部です。個人にあてはまることは、必ずしも個人の集合体である社会にはあてはまりません。このパラドックスを理解することは、マクロ経済学を理解するうえで必須ですが、世界の金融市場で現在起きていることを理解するには、何よりも必要不可欠だと言えます。
双子のバブルの破裂
1年余り前、住宅の価値と住宅債務という双子のバブルが弾けると、誰もが、バランスシートのレバレッジを引き下げるべき時が来たと考えるようになりました。特にこの傾向が顕著なのが、レバレッジ比率の高い金融機関であり、一般の銀行も影の銀行も一斉にレバレッジの引き下げに走りました。これは、個々のレベルでは、まったく理に適った行動でした。
しかしながら、全体では、レバレッジ引き下げのパラドックスに陥ることになりました。誰もが一斉にレバレッジの引き下げに走ろうとすると、実際にはレバレッジの効果が薄れてしまします。というのは、全体としてレバレッジが解消される資産の価格下落を招くからです。言い方を変えれば、レバレッジ比率の高い借り手がみな資産を処分し、それに伴う債務を削減しようとすると、資産価格が下落し、借り手の純資産が減少することにより、レバレッジが高まるという皮肉な結果が生まれるのです。
FRB(米連邦準備理事会)高官の間では、このプロセスは、「負の連鎖反応」と呼ばれています。確かにそうなのですが、私は「レバレッジ引き下げのパラドックス」と言った方がいいのではないかと思います。この言葉を使えば、金融政策対応だけでなく、金融政策と財政政策の両方が強く求められていることがはっきりするからです。確かに、FRBの金融緩和による短期金利の引き下げは、資産価格のデフレを緩和するうえで有効です。特に短期金利の低下が長期金利の低下に繋がるのであれば、有効だと言えます。長期金利は、長期間のキャッシュフローで資産価格を評価する際の割引率として使われるからです。
しかしながら、レバレッジ比率の高い借り手が束になって、全体としての純資産価値を下げているような場合、レバレッジ引き下げのパラドックスを打破するには、金融政策だけでは力不足です。ここで必要なのは、誰かがレバレッジを引き上げ、レバレッジ引き下げによって処分された資産を引き受けることです。事はこのように単純なのです。
連邦政府がバランスシートのレバレッジを高める時
ケインズの教えに沿って考えれば、レバレッジを引き上げる誰かとは、支出を拡大し、倹約のパラドックスを断ち切る必要のある誰かと同じです。つまりその誰かである連邦政府は、バランスシートを拡大し、民間部門のレバレッジ引き下げによって処分された資産を吸収し、それによって底なしの資産デフレを回避する必要があります。これは財政政策に基づく行動ですが、幸か不幸か、財政政策を立案するのは、民主的プロセスという政治闘争に関係のない少数の博学な実務家というわけではありません。財政政策は、実に535人の議員で構成される立法府の手にあり、その顔ぶれを見るとエコノミストよりも弁護士が圧倒的に多いのです。
今年初めに議会がケインズ経済学に基づく適切な財政刺激策の法案を可決したこと、一般国民に1,000億ドルを超える税金が還付され、現在我々はその恩恵に与っていること、その原資は借り入れであり、財務省のバランスシートは同額の負債で膨張していることは、もちろん私も承知しています。したがって、経済学を理解する議会の能力に疑問を差し挟むのは、やや厳しすぎるかもしれません。議会は、連邦政府が借り入れを増やして支出すべきであり、直接的あるいは間接的に、国民への税金還付を通じて、倹約のパラドックスを克服すべきであることを理解しているのです(倹約のパラドックスが何たるかを理解していないかもしれませんが)。
しかしながら、連邦政府がバランスシートのレバレッジを高め、資産を買い上げて、レバレッジ引き下げのパラドックスによる資産デフレを断ち切るという考え方は、罪深いものだとはされていないにせよ、いまだに馴染みが薄いようです。そういった考え方は罪深い主張ではありませんし、そう見られるべきでもありません。にもかかわらず、連邦政府がレバレッジを高めて資産を買い入れるのであれば、「納税者を守る」方法で行なうべき、との主張を繰り返し耳にします。定義上、資産デフレを緩和するため、連邦政府がレバレッジを高めて資産を買い入れる、または保証をするということは、納税者をリスクにさらすことになります。しかしながら、そうするのは、納税者全体の利益のためなのです。
JPモルガンによるベア・スターンズの救済合併を促すために、FRBがノンリコースの条件で、資産を購入するための290億ドルを融資した時、事実上行なったのがまさにこれです。当時申し上げたように、また2ヶ月前の本欄1でも論じたように、これは、FRBによって行なわれた財政政策行動でした。論理的には、議会から付託された権限を行使して、財務省が執行すべきでした。しかし残念ながら、こうした「適切」な解決策を実行する法的権限は財務省にはなかったのです。一方、FRBには権限がありました。1932年連邦準備法の第13条第3項には、「異例の緊急事態」のためにそれが必要だとFRBが宣言する限りにおいて、FRBには、事実上、誰にでも、どんな担保に対しても融資する権限があると定められています。
しかし、誤解しないようにしてください。これが財政政策行動であることは(1)FRBがポートフォリオからほぼ同額の米国債を売却し、市中の米国債の供給量を増やしているという事実、(2)290億ドルの融資でFRBが損失を被った場合、FRBが財務省に納付する超過利益が同じ額だけ減ることになるという事実、によって示されています。結局のところ、公開市場には290億ドルの米国債が増えており、財務省はFRBが米国債以外の資産で事実上保有することになった290億ドルの資産の下落リスクと隣り合わせなのです。
そうです。290億ドルは、実際には、ベア・スターンズの資産の受け皿会社として設立された有限責任会社(LLC)に対する融資であり、JPモルガンはこのLLCに10億ドルの劣後債(「一時損失」トランシェとも呼ばれます)を拠出しています。しかしながら、これは、技術上の細かい説明に過ぎません。結論を言えば、われわれ納税者が、290億ドルのベア・スターンズの資産を購入したのです。
議員の面目のために言えば、彼らは、事後的にではありますが、それを理解しました。しかし、国民のより大きな利益のためにそうするしかない、とのFRBと財務省の論理は受け入れたものの、実際は愉快なわけではありません。議員は、理性的に連邦政府の財政に対する憲法上の権限を守っているのです。
フレディマックとファニーメイ
ここからが本論です。ポールソン財務長官が、彼自身と後任の財務長官に対して、ファニーメイ(連邦住宅抵当公社)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)の債務や株式を買い入れるために、無制限に公的資金を投入する権限を認めるよう議会に要請しました。私は確信をもって予想しますが、ポールソン財務長官が無制限の権限を手にすることはないでしょう。可能性が最も高いのは、ファニーメイとフレディマックへの資本注入のために借り入れる資金が、財務省の法的な融資枠の対象になり、その上限によって抑制されることです。融資枠を拡大できるのは議会しかありません。しかしながら、ポールソン財務長官に肘鉄を食らわせた時にとんでもない結果になりかねないと議員が恐れているという理由だけでも、ポールソン財務長官は望んでいるもののほとんどを得ることができるでしょう。
その間FRBはファニーメイとフレディマックに融資できる立場にあります。ここでもまた、第13条第3項がその根拠になります。しかしながら、ベア・スターンズの資産取得のための290億ドルの融資と違って、ファニーメイやフレディマックに対するFRBの融資は、財務省が融資または投資するまでの「つなぎ」として、明確に規定されています。これはそうであるべきです。税金による救済や買い支えは、議会によって法制化され、FRBのバランスシートではなく、財務省のバランスシートに載せるべきです。
実は私は、この法律が、ファニーメイやフレディマックに対するFRBの融資を「買い取る」よう、財務省に明確に指示するものになるのではないかと見ています。やや希望的見解かもしれませんが、FRBがベア・スターンズの受け皿会社であるLLCに対して行なった290億ドルの融資も、財務省が買い取り、本来あるべき財務省のバランスシートに付け替える権限を議会が与えるのが、きわめて適切であると考えています。
第13条第3項は、金融のシステミック・リスクを回避するのに絶対的に必要な時に限って行使すべきです。これは何も、必要な救済や買い支えにFRBが協力すべきでないと言っているわけではありません。実際には、FRBはワシントンにおいて唯一、議会の承認を受ける前に、資金を拠出できる機関です。したがって、システミック・リスクを誘発する事態に陥った場合には、FRBは事態を収拾すべきです。
しかしながら、第13条第3項は神聖なものであり、緊急事態に限って行使するものだと考えられるべきです。確かな成長と低インフレを追い求めるうえで、FRBの金融政策の独立性を担保するためにも、そう言えます。金融当局と財政当局を、同じ意思決定の屋根の下に置いておくのは、いい考えだとは思えません。
だからといって、金融当局と財政当局が協調する余地がないと示唆しているわけではありません。債務デフレとレバレッジ引き下げによって、資産デフレが進行している状況では、なおさら協調が求められます。実は、ほかならぬバーナンキFRB議長が、理事であった当時に、この点を主張しています。最初は、2002年11月の有名な講演『Deflation: Making sure “it” doesn’t happen here(デフレーション:米国で「それ」を起こさせない)』2」にて、次は2003年5月の講演『Some Thoughts on Monetary Policy in Japan(日本の金融政策に関する若干の考察)3』においてです。
バーナンキ議長が挙げた経済上の脅威は、第1の講演では、アメリカにおける財とサービス価格のデフレのリスクであり、第2の講演では、日本における財とサービス価格のデフレの実態でした。現在のリスクは、アメリカにおける資産価格のデフレであり、財とサービス価格のデフレではありません。
しかし、間違えてはいけませんが、資産価格のデフレは、財とサービス価格のデフレと同じくらい悪性になりえます。実は、レバレッジが引き下げられる状況下での資産価格のデフレは、緩やかな財とサービスのデフレよりも悪性度がはるかに高いと私は見ています。というのは、資産価格のデフレは、レバレッジ比率の高い金融仲介機関の資産ベースを傷つけ、それがさらなるレバレッジ引き下げと、一段の資産価格デフレを誘発するからです。
前述のバーナンキ議長の2つの講演録に話を戻すと、議長は、デフレ時代の中央銀行の役割は、インフレ時代とは違うと見ていることが明らかです。具体的には、日本に関する講演でこう述べています(強調は筆者)。
日本銀行が完全に独立したのはようやく1998年になってからであり、その独立性を注意深く守ってきたのは適切だと言えます。しかしながら、経済的な観点からみてインフレ環境とデフレ環境では、中央銀行の役割が違う点を認識することが重要です。インフレは、往々にして、政府債務の過度な貨幣化と関連づけられますが、この場合、独立した中央銀行の役割は、政府に対して「ノー」と言うことになります。しかしながら、長引くデフレの状況下では、過度な信用創造が問題になる可能性は低く、中央銀行にはより協力的な姿勢が求められるでしょう。現在の状況下で、日銀と財政当局の協力が一時的に強まることは、日銀の独立性と矛盾するわけではありません。目的を共有する2つの独立国が協力し合うことが、一国の主権と矛盾するわけではないのと同じです。
再度、念を押しておけば、バーナンキ議長は、日本で財とサービス価格のデフレと資産デフレが同時に起こる状況を述べているのであって、資産価格デフレについてだけ述べているのではないことは承知しています。したがって、資産価格が下落するなかで、財とサービスの価格が上昇しているアメリカの現在の状況と、必ずしも適合するわけではありません。
実のところ、現在のFRBは、当時の日銀よりも難しい舵取りを迫られていると私は見ています。FRBは、財とサービス価格のインフレ・リスクと資産価格デフレのリスクのバランスを取らなければなりませんが、日本はそうした必要はありませんでした。別の言い方をすれば、日本は倹約のパラドックスとレバレッジ引き下げのパラドックスに直面したのであり、日銀には一時的に財政当局に従属するよう求められていたのです。これは、現在のアメリカにはあてはまりません。アメリカで起きているのは、レバレッジの引き下げのパラドックスであり、倹約のパラドックスではないのです。ただし、特に住宅価格において、レバレッジ引き下げのパラドックスによる病理が解消されなければ、極端な場合に倹約のパラドックスという病が生じるリスクがあるのは確実です。
結論
常識に照らせば、こういうことです。経済が民間部門の倹約のパラドックスに陥っている場合、政府が逆の方向に動くこと、つまり借り入れを増やし、直接支出するか減税によって、総需要の落ち込みを補うことが適切である。実際、これこそ今年初めに議会が行なったことでした。米国債の発行を増やして財源を確保することにより、1,000億ドル強の戻し減税を実施しました。昔ながらのケインズ流の政策です。
同時に、常識では、金融システムがレバレッジ引き下げのパラドックスに苦しんでいる時、政府がレバレッジを高め、下落した資産を買い入れるか、買い支えるべきであるとの考え方をなかなか理解できないようです。しかしながら、分析的な観点から言えば、両者の違いはありません。倹約のパラドックスであれ、レバレッジ引き下げのパラドックスであれ、政府が逆の方向に動くことによってのみ、断ち切ることができるのです。
幸い、議会はようやく、この現実を理解しつつあり、ファニーメイとフレディマックに公的資金を投入するというポールソン財務長官が提案した法案の成立に動いています。これは愉快なことではありません。JPモルガンによるベア・スターンズの救済合併を促すのに290億ドルの公的資金を使った後では、なおさらです。しかしながら、適切なことであります。そして、さらに適切なのは、財務省へのつなぎを除いて、FRBが第13条第3項の下で行なうのではなく、議会が行なうことなのです。
1 GCBF2008年5月号(/LeftNav/Featured+Market+Commentary/FF/2008/Global+Central+Bank+Focus+5-08+Monetary+Policy+Conducts+Fiscal+Policy+JPN.htm)
2 http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2002/20021121/default.htm3 http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2003/20030531/default.htm
ポール・マカリー
マネージング・ディレクター
2008年7月22日
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