2004 年 4 月 26 日 ニューヨーク
ありがとう、レイ 1 。また今夜お越しいただきました皆様にも、御礼申し上げます。 私が、レイや皆様の多くと初めて出会ったのは、ウォール街で働き始めた 1983 年のことでした。当時、私のような職種の人間は、 Fed ウォッチャーと呼ばれ、 FRB のバランスシートの概要を示す H4.1 と呼ばれる週刊のレポートに取り組むことを生業としていました。私を含め、 Fed ウォッチャーの大部分はエコノミストという肩書きを持っていましたが、その実は水道の検針員のようなことをしていたと言えます。私たちの仕事は、金融システムを流れる、きわめて季節性の強い正常な準備預金の水準、いわゆる作用要因を予測することでした。
その作業自体は、面白いものではありませんでしたが、 FRB が目標とする窓口貸出の水準を達成するために必要な流動性供給額、もしくは吸収額を予測するために必要な作業でした。そして、窓口貸出の水準自体も、興味深いものではありませんでしたが、もう 1 つの目的である、 FF レートと公定歩合のスプレッドを予測するために必要なものでした。そして、 FF レートと公定歩合のスプレッドもまた、それ自体が興味深いものではなく、 FF レートという厄介な代物を予測するために必要なものだったのです。
私は、レイのような優れた Fed ウォッチャーほど、この仕事をうまくこなすことができませんでした。その理由の 1 つには、作用要因の技術的な側面に対する私の理解が十分でなかったことがあります。言ってみれば、私は 2 流の水道検針員だったわけです。しかし、本質的部分で、私はこのプロセス全体に嫌気が差していました。私たち Fed ウォッチャーは、皆豊かな知性を有しているにもかかわらず、私たちの仕事は、社会に対して十分な付加価値を提供しているとは思えなかったのです。私たちの仕事は、 FRB の準備制度の周辺で作用要因を追いかけることであり、目標とする連銀貸出の水準を達成するために、 11 : 40 に行われる公開市場操作で、 FRB は流動性を供給する必要があるのか、それとも吸収する必要があるのかを予測することでした。真面目な人々が、つまらないゲームに取り組まざるを得なかったというわけです。
しかし、 FRB が FF レートの目標水準を明らかにしようとしなかったために、このゲームは必要なものでした。 FRB の公開市場操作が、いわゆる「銀行の準備預金ポジションに対する圧力の強さ」を一定に保つために必要な、純粋に技術的な動きなのか、それとも政策の変更、すなわち FF レートの変更を示すものなのかを探るためには、世間の目に晒されながら、 FRB の準備制度の周辺を嗅ぎ回る以外に方法がなかったのです。これは、何ともいらいらさせられる作業でした。 FRB は FF レートの目標水準を示すことができたわけですし、本来そうすべきだったのですから。 FRB が、 FF レートの目標水準を明らかにしさえすれば、私たち Fed ウォッチャーは世間の目に晒されることなく、より生産的な業務、たとえば本来のエコノミストの業務に取り組むことができたはずです。
戦いの火蓋が切られた時 : 1979 年 10 月 6 日 話は、随分と昔の、 FRB とインフレとの戦いが始まったばかりの頃に遡ります。ボール・ボルカー前 FRB 議長は、 1979 年 10 月 6 日に、ケインジアンの衣を脱ぎ捨て、マネタリストの鎧を纏うと宣言し、インフレとの戦いをスタートさせました。 FRB は、銀行準備の価格、すなわち FF レートを目標に近づけることをやめ、マネー・サプライの伸びが目標に近づくよう、銀行準備の量、すなわち非借入準備の量を目標にすると宣言しました。
言うまでもなく、これは FRB の計略でした。長期的なインフレ症状を打開するための、唯一実績のある方法は、 FF レートを上昇させることですが、この計略は、 FRB がひどいリセッションを引き起こすことができる水準まで、 FF レートを引き上げるための、政治的な隠れみのを得るためのものでした。しかし、この計略は、 1982 年の夏には立ち行かなくなります。当時、名目 GDP 成長率に対するマネー・サプライの伸びには、金融自由化の影響で、都合よく歪みが生じていましたが、必要とされたリセッションが進行して、恐慌に移行する恐れが生じたために、 FRB はマネー・サプライの伸びを目標にすることをやめ、 FF レートを大幅に引き下げました。
しかし、それでも FRB は、 FF レートの水準を目標にする体制に戻ったのだということを認めようとはしませんでした。それを認めてしまうと、 FF レートがリセッションを引き起こすに十分なほど高かったことをカムフラージュするために、マネタリズムと決別したのだということを認めざるを得なくなるためです。そこで、 FRB は、窓口貸出の水準を目標にして、間接的な形で FF レートを目標にする体制を採用しました。
ついに真実が明らかに 結局は、この計略も立ち行かなくなるのですが、その一因は、 1984 年春に起きたコンチネンタル銀行に対する取り付け騒ぎの後、窓口貸出に対する需要が構造的に低下したことです。これにより、窓口貸出の目標は、それまでよりも幅広く、変動の激しい FF レートと公定歩合のスプレッドに形を変えました。実際に、私は、 1984 年の夏にレイとこの問題について議論したことを覚えています。この時 FRB は、 FF レートが 100bp 上昇したにもかかわらず、窓口貸出の目標を変えませんでした。私は、これは金融引き締めだと主張し、レイはそうではないと主張しました。
私は、今でも自分が正しかったと考えていますが、ボルカー前議長のアシスタントを務めていた友人のニール・ソスは、レイの考えが正しいと言っています。ニールは、 1984 年の夏に FF レートが 100bp 上昇したことは確かだけれど、それは FRB が意図したことではなく、それゆえこの FF レートの上昇は、能動的な金融引き締めではなかったと主張しています。ニールによれば、 FRB がそうと気付く前に窓口貸出機能の構造的変化が生じてしまい、そのために受動的な引き締めが引き起こされたとのことです。この主張を頭から信じることはできませんが、ニールは、誓ってこの通りであると主張しています。
現時点で私にわかることは、当時 FRB は FF レートを固定する権限があると認めることを嫌がっていたということです。 FF レートを固定することは、インフレ傾向が強かった 1970 年代にも採用された手法でしたが、ボルカー前議長は、 1979 年 10 月 6 日にインフレとの戦いの開始を宣言した際に、この手法をはっきりと拒絶しました。そして、 FRB には FF レートを固定することができるという自明の理を FRB が公に認めたのは、随分と後になってからでした。 1987 年のブラックマンデーは、割引窓口機能の更なる低下につながりましたが、このブラックマンデーの後になって、 FRB は、 FF レートを固定することが FRB の政策運営手段であることをはっきりと認めたのです。そして、 FRB が FF レートの誘導目標水準の変更を発表し始めたのは、 1994 年の 2 月になってからでした。この時点で、 Fed ウォッチャーは、水道検針員のような作業から解放され、エコノミストの業務に専念することができるようになったのです。
実践方法は曖昧、しかしゴールは明確 1994 年 2 月以前のことを思い起こすと、 94 年以降の 10 年間に状況が様変わりしたことに驚きを隠し得ません。 FRB は、 FF レートを固定する力を持っていることや、実際の政策運営手法として FF レートを固定していること、そして現在の固定水準といった点を驚くほど明確に示すようになりました。何と素晴らしいことでしょう!しかし、口やかましいと言われるかもしれませんが、その一方で、 FRB の政策目標については、以前よりも不透明になったと言わざるを得ません。
かつて、 FRB はインフレとの戦いを繰り広げており、インフレを低下させ、事実上の物価の安定という目標にたどり着きたいと考えていることは、周知の事実でした。また、この戦いにおいて、 FRB は機会主義的な戦闘計画を採用しており、(ボルカー前議長が戦いの火蓋を切った後)積極的にリセッションを引き起こすことはしないものの、リセッションはディスインフレ的な配当をもたらすもため、リセッションの発生が避けられない場合には、それを受動的に受け入れようとしていることも、周知の事実でした。また同じように、リセッションに続く回復局面では、こうしたディスインフレの配当を確固たるものとするために、 FRB は予防的な引き締めに動くということも、周知の事実でした。最終的にインフレとの戦いに勝利するまで、 FRB は、各景気サイクルで、緩和には慎重に、引き締めは素早くという姿勢でこの戦いを続けていくことが明らかだったのです。
FRB の反応関数の実践方法は、目まぐるしく変わりましたが、それにもかかわらず、実際に FRB はその反応係数を明確に示していたため、それをモデル化することが可能でした。最もよく知られた FRB の反応関数は、言うまでもなく、ジョン・テイラー教授が考案し、彼の名前がついたあのルールです。これはうらやましい話です。自分の名前がついた法則があるなんて、何と素晴らしいことではありませんか!
フィリップス曲線に乗って このテイラー・ルールのように、ケインズ主義を基盤としたルールの場合は、特に素晴らしいことです。テイラー・ルールは、簡潔な命題を基盤として見事に形作られています。その命題とは、金融政策は、総需要と潜在的総供給の格差、すなわち算出ギャップに対して作用することで、インフレに影響を及ぼすというものです。そして良く知られている通り、算出ギャップとは、長期的には存在しないとしても、短期的に存在するとされるフィリップス曲線にオークンの法則を組み合わせて得られた考え方です。
基本的にテイラー・ルールとは、 FRB がフィリップス曲線を政策に活かすための単純な公式に過ぎませんが、この公式が生み出したディスインフレ的発明が 1 つあります。それは、目標を上回るインフレ率に対抗するための罰則条件を示したことです。具体的に言うと、 FRB は実質 FF 金利を長期的な「中立」水準よりも高く保つべきであり、その幅はインフレ率が目標を上回った分の 50 %にすべきというのが、テイラー・ルールの考え方です。たとえば、インフレ率が 4 %で、インフレ率目標水準が 2 %の場合、産出ギャップが存在しないと仮定すると、テイラー・ルールからは、 FRB が実質 FF 金利を「中立」を 1 %上回る水準に設定すべきだとの結論が導かれます。
もちろんこれは、インフレ率が FRB の目標値を上回っている場合、 FRB はインフレ率を長期的に引き下げられるように、失業率の長期的平均が NAIRU を上回る水準になることを目指すべきことを言い換えたものだとも言えます。インフレとの戦いの中で、 FRB はまさにこれを実践してきたのであり、だからこそ、テイラー・ルールは 1980 年代と 90 年代の政策金利の動きを見事にトレースすることができたわけです。
結局のところ、 FRB の政策の基本は、インフレと戦うために、平均して失業者 ( グリーンスパン議長が好む言い方をすると、利用可能な労働者のプール ) の水準を高く保つことが可能になる、高い実質 FF 金利を維持することでした。そして、私たち Fed ウォッチャーは皆、この FRB の戦略を理解していました。 FRB の準備制度の周辺を嗅ぎ回り、何らかの作用要因が示されたのかどうかや、明確な目標水準が示されていない FF 金利の誘導目標が変更されたのかどうかを知ろうとしていた、ずっと以前の時代もこの点は明らかでした。
現在では、誰もが FRB が目標とする FF 金利の水準を知っており、 FRB が目標値を変更すれば、瞬く間に世界中がそれを知ることになります。 しかし、 FRB がインフレとの戦いを繰り広げていた時代と比べ、 FRB の目標は不透明になったと言わざるを得ません。 FRB は、 1 年前に「歓迎できないディスインフレ」という概念を導入して、インフレとの戦いに勝利したことを宣言しました。遅きに失した感もありますが、 FRB は巧妙な形で、インフレとの戦いに勝利したことを宣言し、さらに事実上の物価安定の安寧を勝ち取るための長期的な戦いに臨むことを発表しました。
新たな戦いには、新たな反応関数が必要 それ以来、市場に生きる私たちは、これが FRB の反応関数にどういった影響を与えるのか、言い換えると、 FRB が考えるテイラー・ルールの詳細な仕様を突き止めようとしてきました。そして、今夜私が一番言いたいことに辿り着くわけです。それは、 FRB が作戦行動を明確にすることに心血を注ぐのではなく、政策目標を明らかにすることに時間を割くべき時が来たということです。
インフレと戦っている間は、 FRB が明示的なインフレ・ターゲットを設定しているかどうかは重要ではありませんでした。誰の目から見ても、 FRB がインフレの長期的な低下を望んでいることは明らかでした。また、私個人は FRB がインフレ・ターゲットを公表することに反対でした。 FRB がインフレ・ターゲットを設定するとすれば、それは実際のインフレ率よりも低い水準になったでしょうが、そうすることによって、 FRB は、好機を捉えながらゆっくりとターゲットを達成しようとしているのではなく、短期間に達成しようとしているとの認識を生み出してしまうと思えたためです。
しかし、事実上の物価安定が達成されたことで、私は自らの考えを変え、インフレ・ターゲット支持派に転向しました。実際に、転向したことを明らかにしたのは、今からちょうど 1 年ほど前でした。私は、ビル・ダドリーと共同でフィナンシャル・タイムズ紙に寄稿した論文の中で、 FRB は、あらかじめ緩和を確約する戦略に対する出口戦略として、 2 %のインフレ・ターゲットを導入すべきだと主張しました。ご記憶かと思いますが、この時 FRB と市場は、デイラー・ルールからは間違いなく逸脱した非伝統的手段による金融緩和の可能性を取りざたしていました。具体的に言うと、市場は FRB が長期金利目標を設定し、その水準に長期金利を固定し、 FOMC の行動によって、それを確実なものとするという考えにとりつかれていました。
私には、 FRB があらかじめ FF 金利を引き上げないことを確約する手法を採らない限り、長期金利を固定する意味がないと思えました。私には、 FRB が、そのような事前に確約する戦略を採りながら、その確約からの出口戦略を公表することができるかどうかが疑問に思えました。それゆえ、私はインフレ・ターゲットを明示すべきという考えを支持するようになり、 2 %程度のインフレ・ターゲットを導入することで、 FF 金利を上げないとの事前の確約に対する出口戦略を公にすることができると考えたわけです。ビル・ダドリーと私は、 FRB が、時間を基準に、ある程度の期間 FF 金利を引き上げないと事前に約束してしまうと、そこからの最終的な出口戦略は、経済環境ではなく、幸運を頼ることになってしまうため、そうした約束をすべきでないと精一杯主張したのです。
しかし、皆さんが良くご存知の通り、 FOMC は私たちの主張に耳を貸さず、 8 月には「相当の期間」緩和政策を続けるとした、時間を基準にした約束を導入しました。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のグレッグ・イプ氏が書いた見事な記事で紹介された通り、この決定には反対意見もありました。その理由の 1 つは、あらかじめ確約する戦略も、それまでに例を見ない非伝統的手段に他ならなかったことです。少なくとも現代だけを見ても、 FOMC は、将来の政策に対する自ら動きを言葉によって縛ってしまうことを常に避けてきました。実際に、 1994 年 2 月までは、 FF 金利の誘導目標を明らかにすることにも消極的であり、 FF 金利のフォワード・カーブについて、自らの意向を明らかにすることも滅多にありませんでした。このように、昨年 8 月に、「相当の期間」緩和政策を維持すると公言したことは、 FRB の運営方法を大きく変えるものでした。そして、 FOMC の内部では、運営方法を変更することが常に議論の種となります。
これは私の推測にすぎませんが、昨年 8 月の FOMC の決定に対する反対が必要以上に大きくなった原因は、 FOMC が明示的なインフレ・ターゲットを発表することや、バーナンキ理事が主張した事実上の物価安定の定義を公表することに対する、グリーンスパン議長の長年の反対があったためではないでしょうか。明示的なインフレ・ターゲットや物価安定の定義を発表できないため、 FOMC にとって、緩和政策を続けることをあらかじめ確約する戦略に対する出口戦略を、前もって定義する方法が限られてしまっていたのです。
ハリーズ・バーを思い出して こうして FOMC は自ら発した言葉の袋小路に入り込んでしまい、資産バリュエーションの合理的なバブルを生み出すことが暗黙の目標となってしまいました。そうは思われませんか?資産のバリュエーションにおける合理的バブル?バブルが合理的であるはずがない?では一例を示しましょう。
私は、この会場の向かいにあったハリーズ・バーが、残念ながら閉店してしまったことを今朝まで知らなかったのですが、とりあえずハリーズ・バーが営業していると仮定してください。バーに入っていくと、バーテンがタイムサービスで割引をしている最中であることを教えてくれました。ただし、タイムサービスは、決まった時間内ではなく、「相当の時間」続くというのです。この場合、友人達に電話をかけ、ハリーズ・バーで飲もうじゃないかと誘うことは、合理的な行動でしょうか、それとも非合理的でしょうか。もちろん、バーテンの言う「相当の時間」が、実際にどれくらいの時間なのかはわかりません。しかし、バーテンはおもむろにタイムサービスを打ち切ることはなく、タイムサービスがいつ終わるのかを知らせるはずだと考えるでしょう。それゆえ、特にバーテンが、タイムサービスは「相当の時間」続く、あるいはタイムサービスを打ち切るにあたって「我慢強くなれる」と言い続けている間は、友人を飲みに誘うことは合理的な行動と言えます。
ハリーズ・バーに集まった客の間では、バブルが起きるでしょうか。そうなるでしょう。それは合理的バブルになるのでしょうか。やはりそうなるでしょう。安定的不均衡が生ずるのです。客は皆、安い値段で何杯ものビールを飲み、浮かれることでしょう。いつもは正規の値段のビールを割引で飲むことができ、十分に満足できる程度の時間、その割引は続き、バーテンが終わりと告げれば、飲み会も終わることを知っているのです。だからこそ、合理的バブルなのです。
これこそが、昨年 8 月に FRB が「相当の期間」という言葉を使った時、目指していたことに他なりません。 FRB は、 1 %の FF 金利が資産バリュエーションに織り込まれた場合、それにより総需要が拡大し、 1 %の FF 金利が適正ではなくなることを知りながらも、市場がそれを織り込むことを望んだのです。 これは、緩和政策の維持をあらかじめ確約する戦略についてまわるパラドックスだと言えます。すなわち、市場が約束を信じた場合には、最終的に約束を破らざるを得なくなります。言い換えると、 FRB がデフレ・リスクとの戦いを成功させるためには、市場が、 FRB の政策運営は失敗し 1 %の FF 金利が永遠に続くと考えることにより、資産バリュエーションが上昇し、富が生み出され、それにより総需要が刺激されて、リフレ・プロセスが始まるという展開が必要になります。
タイムサービスの終了このような流れで現在の状況に辿り着くわけです。 FRB は、今こそタイムサービスで低く据え置いていた 1 %の FF 金利を撤回し、 FRB はデフレとの戦いに勝てないと信じていた向きを見返してやる時だと言えます。そして、金融市場の資産バリューション・バブルを終わらせる時です。タイムサービスによる大騒ぎにより、米国の産業界においてリスクを取ろうとする姿勢、特に投資や雇用に対する意欲は見事に復活しました。
金融市場の投機的な資産バリュエーションによって生み出された富により、産業界の企業はバランスシートの修復をすることができました。そして、産業界は、縮小によって生存を図るのではなく、成長を通して利益を追及するという資本主義本来の姿勢に戻っています。したがって、金融市場も、今こそマイナスの実質 FF 金利への依存を断ち切る時なのです。
成長を推進する役割が、金融市場から産業界へスムーズにバトンタッチされるようにすることが FRB に課せられた使命です。 PIMCO では、この「バトンタッチ」について、多くの分析を行っています。まさにこの「バトンタッチ」という簡単な言葉が、 PIMCO の経済見通しの鍵を握っています。いつになったら、 FRB が低金利のタイムサービスを打ち切っても、世界は安全な状態を保つことができるでしょうか。また、タイムサービスの打ち切りにより金融市場が受ける痛みは、盛り上がってきた産業界の資本主義的姿勢に強く影響せずにすむでしょうか。それとも痛みは伝播してしまうのでしょうか。
FOMC がこの問題を自問自答していることは間違いありません。そこで PIMCO では単に私たちの考えを整理するだけでなく、 FOMC が考えていることを解明しようとしています。そこで、私たちの考えと、私たちが考える FOMC の意向について紹介しましょう。
「我々の見るところ、我々が行動を起こす場合、もしくは行動を起こす可能性を示唆する場合には、必ずイールドカーブの全体的な構造の変化を見て取ることができる。そして、イールドカーブの構造は、我々が特定のパターンの金融政策を始めるにあたって、どのような状態になればその政策を打ち切るのかを自問しなくてはならないことを示し始めている」。
みなさん、これは「素晴らしき新世界」です。 FRB はインフレとの戦いを遂行し、予防的引き締めと反作用的緩和を利用して、機会主義的ディスインフレをもたらしました。そしてこの戦いは勝利のうちに幕を閉じました。現在、 FRB は、上下両方向のインフレ・リスクが存在する状況で、デフレの一歩手前の水準を起点に、物価安定の安寧を勝ち取るための戦いを始めています。
それゆえ、インフレと戦っていた期間における FRB の反応関数を実証的に評価したモデルであるテイラー・ルールについて、その詳細をデータではなく理論を用いて明確に示す必要があります。 FRB は、事実上の物価安定を達成するのではなく、達成された物価安定を維持するための戦いを遂行していますが、この種の戦いに関するデータはないのですから。
この素晴らしき新世界に対する私見を披露するチャンスを頂戴できたことを感謝いたします。またご質問があれば、喜んで承ります。
ポール・マカリーマネージング・ディレクターmcculley@pimco.com
1 レイ・ストーン氏は、 Stone & McCarthy Research のマネージング・ディレクターであり、 Money Marketters の会長を務めている。
ピムコ ジャパンリミテッド105-0001 東京都港区虎ノ門4-1-28虎ノ門タワーズ オフィス18階 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第382号加入協会/ (社)日本証券投資顧問業協会、(社)投資信託協会ピムコジャパンリミテッドが提供する投資信託商品やサービスは、日本の居住者であり、かつ法律による制約のない方に対して提供するものであり、かかる商品やサービスが許可されていない国・地域の方に提供するものではありません。過去の実績は将来の運用成果を保証するものではありません。 本資料には、本資料作成時点での著者の見解が含まれていますが、これは必ずしもPIMCOグループの見解ではありません。著者の見解は、予告なしに変更される場合があります。本資料は情報提供を目的として配布されるものであり、投資助言や特定の証券、戦略、もしくは投資商品の推奨を目的としたものではありません。本資料に記載されている情報は、信頼に足ると判断した情報源から得たものですが、その信頼性について保証するものではありません。運用を行なう資産の評価額は、組入有価証券等の価格、金融市場の相場や金利等の変動、及び組入有価証券の発行体の財務状況による信用力等の影響を受けて変動します。また、外貨建資産に投資する場合は為替変動による影響も受けます。運用によって生じた損益は、全て投資家の皆様に帰属します。したがって投資元本や一定の運用成果が保証されているものではなく、損失をこうむることがあります。弊社が行う金融商品取引業に係る手数料または報酬は、締結される契約の種類や契約資産額により異なるため、当資料には具体的な金額・計算方法は記載しておりませんのでご了承ください。本資料の一部、もしくは全部を書面による許可なくして転載、引用することを禁じます。本資料の著作権はPIMCOに帰属します。 2008年(注)PIMCOはパシフィック・インベストメント・マネジメント・カンパニー・エルエルシーを意味します。